インテグレーションとセグレゲーション

「インテグレーション (統合)」と「セグレゲーション (分離)」という言葉があります。一緒にすることと分けることです。一般的には、分けることより一緒にした方が、より福祉的だと思われてきました。インテグレーション(統合)は、「メインストリーミング (主流化)」につながります。これらの言葉は、「統合教育」という意味を含みます。障害がある児童・生徒と健常者と呼ばれる児童・生徒を一緒に教育することです。健常者側からみると、障害について学ぶ機会を持てる意義は大きいですし、たいへんけっこうなことのように思えますが、教育する側からみるとそれだけではありません。小中学校の一般教員は、障害児教育に関する訓練を受けていない場合が多いのです。また、障害児の側からみると、訓練を受けていない一般教員に教わるか、訓練を受けた専門教員に教わるかで、発達の度合いに差が出てくるという事実を知らなくてはいけません。その一方でメインストリーミング(統合教育)の意義も大変大きいのです。

インテグレーション (統合)を選ぶか、セグレゲーション (分離)を選ぶかは、それぞれの特長をふまえて、本人や家族が自分で決めなくてはいけません。そして関係者は、その自己決定を支援するという役割をにないます。統合と分離、それらの両方を含む言葉が、ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)だということなのでしょう。

近年、脱施設化という言葉が、ノーマライゼーションの理念に合うように言われて、政策が展開されています。施設に入らず地域で家族と暮らす。人間として非常に大切で基本的なことのように思えます。しかし、障害児も成人して高齢者になるということを考えてみる必要があります。家族に介護されて生活していた障害者が、年老いた家族を葬 ( ほうむ )った後、残された余生を施設すごすことも想定されます。施設に入所していた障害者が訓練のすえに自立して、障害年金を得て地域生活を送ることも想定できます。どちらを選ぶかは、本人の自己決定なのです。選択肢を用意し、説明したうえで選択してもらうインフォームド・チョイス(説明と選択)と、そのための支援が関係者の重要な役割です。

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