第三次ベビーブームは来なかった。

日本は、戦争に負けました。1945(昭和20)年8月のことです。この時点を終戦と言います。ここを境界として時代を前後に分け、戦前、戦後という言い方をします。その時点での人口は、7千2百14万人でした。この戦争は、人材も物資も総動員体制で、特に若い男性はかり出されました。終戦を迎えて、かり出されていた若い男性たちが、復員してきます。当時の風習では、適齢期の男女は、結婚するのが普通でしたので、その男性たちと銃後(戦場の後方)を守っていた女性たちが結婚します。結婚した男女から赤ちゃんが産まれます。1947(昭和22)年、1948(昭和23)年、1949(昭和24)年の三年間を、第一次ベビーブームと言います。その時に産まれた世代を、団塊の世代、第一次ベビーブーマーと言います。

1971(昭和46)年、1972(昭和47)年、1973(昭和48)年、1974(昭和49)年の四年間を、第二次ベビーブームと言います。これは、団塊の世代の男女が、適齢期に達し結婚し出産し、ベビーラッシュが起こったためです。この時期に産まれた世代を、団塊ジュニア、第二次ベビーブーマーと言います。年齢を縦軸に人数を横軸にして、左右に男女を配置した「人口ピラミッド」が「ひょうたん型」と呼ばれるのは、「ひのえうま」を含む谷間をはさんで、上に「団塊の世代」と下に「団塊ジュニア」がふくらむからです。第二次ベビーブームの最後の年、1974(昭和49)年には、日本の人口は、1億1千万人を超え、1984(昭和59)年には、1億2千万人を突破します。

1973(昭和48)年生まれの子どもたちは、1994(平成6年)に二十歳になりました。そこで策定されたのが、「エンゼルプラン」という子育て支援です。1971(昭和46)年生まれの子どもたちは、2002(平成14)年には、三十路を迎えます。団塊ジュニア達が、結婚も出産もしないのに業を煮やした政府は、1999(平成11)年「新エンゼルプラン(少子化対策推進基本方針)」2003(平成15)年「次世代育成支援対策推進法」「少子化社会対策推進法」2004(平成16)年「少子化社会対策大綱」「子ども・子育て応援プラン」など矢継ぎ早に政策を打ち出します。しかし、あくまでも子育てする者に厳しい社会であった日本の体質改善には時間がかかります。団塊ジュニア達を結婚させて子づくりさせよう計画や法律は、実効性が無く、掛け声だけだったために、冷静だった団塊ジュニア達は、結婚を急ぐこともなく、子づくりすることもありませんでした。団塊ジュニア達は、いま40代半ばになっています。

子育ては大変です。5人育てた、そして現在育てている、ワタクシの実感です。何も無くても大変な子育て。しかも、子育てする者に冷たい社会の目です。必要なのは、政府の掛け声や小手先の政策変更ではなく、子育てが大変な社会や子育てに金がかかる社会から、子育てする者に優しい社会や子育てする者に経済的負担を軽減する社会へ、社会全体が変わっていくことなのです。

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