福祉六法について

日本は戦争に負けました。

戦争に負けるという事は、連合国(戦勝国)に占領されるという事です。

本当は、そんな事しちゃいけないのですが、

連合国特に米国は、全ての日本人を洗脳にかかりました。

反米感情をとことん排除し、親米感情を植え付けたのです。

日本人のソウル(魂)は、全て失われました。

日本を占領、洗脳していたのは、GHQ(連合国総司令部)でした。

日本国憲法を作ったのはアメリカ人です。

これが公布されたのは昭和21年11月3日。

文化の日は、日本国憲法公布記念日です。

施行は昭和22年5月3日、いわゆる憲法記念日です。

爆弾投下により焼け野原になった都市部で、

食料も住居もなく焼け出された住民のために、

昭和21年「旧生活保護法」が公布。

親を失った子供たちは、男の子は〇〇〇、女の子は〇〇〇しか、

生きるすべを持たなかった。

戦災孤児に対する施策として昭和22年「児童福祉法」が公布。

傷痍軍人を救済しようとした「身体障害者福祉法」は、

GHQの反対にあい公布できず、GHQを誤魔化しごまかしして

やっと公布したために昭和23年と一年遅れになりました。

そして、不備があるとして、やり直しをさせられた「新生活保護法」が

昭和25年に公布。

救済の対象(貧困の理由)や欠格事項を変更、

担当者をボランテイア(民生委員)ではなく専任職員(社会福祉主事)にする

などの変更が行われました。

これが福祉三法です。

世の中が落ち着いてきた1960年に「精神薄弱者福祉法」。

これは後に「精神薄弱」という言葉にクレームがつき、

「知的障害」に変更されました。

1963年に将来の高齢化社会を考え「老人福祉法」。

1964年に「母子福祉法」です。

この時代は、まだ、父親が働き生活を維持する。

母親は家庭を守るという役割分担がありました。

働き手をなくした母子家庭は、生計に窮するということで、

母子家庭対象の福祉の法律でした。

母子家庭の子供も成人します。子供が成人して残された母のために

「及び寡婦」がつきます。

寡婦は独りの女性と言う意味。未婚、離婚、死別を問わず、独りの女性ですが

この法律の寡婦は、かつて母子家庭の母で子供が成人して独りになった女性を対象にしていました。やがて、男女の差別をなくし、「及び父子並びに寡婦福祉法」に名称変更されて現在に至ります。

これが福祉六法です。

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